物を創ること、生み出すこと
2022年3月31日
物を創ること、生み出すこと
先日滋賀県立美術館で開催されていた「人間の才能 生みだすことと生きること展」を最終日ギリギリに見てきました。
結論から言うと、文句なしに最高で、刺激を受けまくり。
自分らもデザイナーとして「物を創るということ」を日々行っていることが、改めてすごいことなんだなと再認識。この面白さを受講生や今後クリエイティブの世界に触れたいという方に少しでも届くといいなと、この記事を書いてます。
アール・ブリュット?
少し説明をすると、この展覧会は「アール・ブリュット」とか「アウトサイダーアート」と呼ばれる作家の展覧会です。
どういう事かと言うと、何らかの理由で美術教育を受けていなかったり、広く作品が発表されていなかったりする人たちのアートのことです。
「何らかの理由」ってなんやねん、と思うかもしれませんが、例えば自閉症、発達障害などの心の病、身体の障害、その他親からの虐待を受けて世間と隔絶させられたというケースもあります。
で、こうしたいわゆる「美術」の枠から飛び出した、自由な発想や、技術に縛られない手法などを評価しよう!という運動のことをアール・ブリュットと呼んでいたんです。
でもこの展覧会はそもそもそう言う障害なんて取っ払ったところで、普通に作品としてすごいんだぜ!というメッセージの展覧会だったんですよね。(長い前振り終わり
ちょっと作品紹介
会場入ってすぐに古久保さんの巨大な街の絵。たぶんみんなが想像する10倍以上デカいw とにかく微細な線でひたすらに街の全景が描かれています。
ある種偏執的ではあるんだけど、感じるのは「平穏」とか「心の安定」。子供の頃こういう、細かく描かれた街の絵や、ビルの絵(ビルの壁が透けてて各部屋の人の暮らしが見えるやつ。分かる?)を見たり、そういう「誰かの世界」に入ってくのすごく好きだったことを思い出した。
表現って誰かのためじゃないんだよ!自分のためなんだよ!と思い出させてくれた気がします。
個人的に一番大好きだった作品が藤岡さんの一連の作品。
一言で言えば紙にハサミで切り込みを入れた「だけ」。なのになんでこんなに美しいんだろうと本当に感動しました。切っているときのハサミの感触、形が少しづつ変わっていく様、きっと快感だろうな。
それとひたすら真っすぐにこの技法を極めることで、ハサミさばきがより極まってきて、作品や作風もまた変わっていくという、作者の年表のようなものを見れた気がします。
用紙に極細のペンでひたすらに線が重なる作品を作られています。これも本当に実物を見てほしい。ただの線と思って近づくと、線の奥行き(=描画の時間)が異常に深い事に気づきます。実際ひとつの作品を作るのに数ヶ月かかるんだそうです。
制作風景の動画も見れましたが、本当に大切に大切にひとつの線を引かれていました。
これって誰でもできね?
と思う気持ちも分かります。例えば有名なジャクソン・ポロックのグッチャグチャの絵が当時史上最高の値段で落札されたこともあります。なんであんな子供でも描けそうな絵が?と思いますよね。
例えば最後に紹介した岡崎さんの作品には天地があります。一本一本の線にはそこに在る必然性があります。作品としての完成地点が岡崎さんには存在するってことです。
作者によっては絶対完成しない(させない)という方もいます。
つまりいずれにせよ、作者の「意図」があるということです。すごいデカいこと言うと、偶然産まれたものは作品とは呼ばれない(人の心を打たない)し、偶然産まれるなんてことないんですよね。
偶然を産み出すために死ぬほど悩んだり、苦しんだり、今回の展覧会の作者のように延々と没頭したり、その結果が作品だったりするんじゃ無いかと。
だから作品だけを見るというより、作者の人生、意図、経緯、背景、時代そういうものすべてをまとめて一つの作品と呼べるから唯一無二だし、超高値になったりするわけです。
僕らが見ている作品というのはその「意図」が写し取られたものだって考えたら、今まで「は?なにこれ」と思っていた作品の中にも「ぐっ」と来る出会いがあったりするかも知れませんね。
物を創ること、生み出すことを楽しもう!
仕事でデザインに携わっていると、もちろん大変なことも不条理なこともたくさんあります。それでも創ることは楽しいし、もっと言えば僕らは「創る」ことが運命づけられているだとさえ思います。てか信じてます。
どんな些細な表現でも自分の「意図」を形にする。そういう「表現」を僕らは楽しみたいし、少しでも応援できる仕事をさせてもらっているんだなぁと考えさせられた週末でした。
このやたら長い&暑苦しい記事を読んでくれた方が、自分の「表現」てなんだろ?ってちょっと思ってくれたら嬉しいなと思ってます。
この話これでもまだまだ書き足りない!どっかでまた書いてやる!w (久保)